とんでもなく間が空いてしまいましたが、ユーロ研修報告の9回目(最終回)です。
研修から半年以上経過し、記憶も一部曖昧になりつつある?ので、急がねばなりません。
さて、夕刻フィレンツェからユーロスター・イタリアに乗ってローマに到着。

(ローマ・テルミニ駅。庇の跳ね出しはかなりのもの。PC構造だと思われるが、竣工は1950年。ユージニオ・モントゥオリ設計。)
既にあたりは暗くなっていたのですが、さすがローマ帝国の首都だけあって、街から「威厳」とも言うべきオーラが出ています。なにせ2000年前の建築物が街中に素っ気なく放ってある(ように見える)のですから。

(ユーロスターが到着したローマ・テルミニ駅すぐそばの共和国広場(エゼドラ広場)。古代ローマ時代のディオクレティアヌス浴場の大きな半円形の柱廊(エゼドラ)をもとにつくられた広場とのこと。ライトアップされた建物は恐らく1800年代後半のもの。)
街のいたる所にこれだけ多くの遺跡があるという風景をローマ市民はどう見ているのでしょう。あたりまえかもしれませんが、彼らにとっては見慣れた日常の風景なんでしょうね。(札幌市民に置き換えると雪まつりの雪像のような・・・札幌の人しかわからない例えだと思いますが、時々あらためて見ると感動するけれど、普段はわざわざ見に行かないといった感覚です。)

(交通量の多い大通りのすぐ脇にこんな遺跡がごろごろしている。奥に見えるのがコロッセオ。新旧の建物が入り混じり(「新」と言っても日本の感覚であればかなり古いのだが)、ローマの街並みを形成している。)

(ちょっと大袈裟だが、いたるところこんな感じで遺跡が放りっぱなし(に見える)。)
しかし、僕にとってはやはり感動の連続です。ローマに来たのは初めてですから、今回は現代建築には目もくれず、2日間古代建築巡りです(まったく日数足りませんが)。訪れた場所のうち幾つかを抜粋してご紹介します。
やはり、これは外せない「パンテオン」。こんな巨大なドームをつくる技術を持った設計者なら、普通は塞いでしまうでしょう?天井。
まずそこを塞がなかったセンスに感動。塞がないことでこの空間がどれだけ昇華したことか。日常にある太陽光が、ここパンテオンの内部では全く別なものとなり、言葉では言い表せない空間をつくりだしています。僕が訪れた時は、晴れ空のなか小雨がちらつく妙な天気。でもそれがまたいっそう荘厳な情景を見せてくれました。天井から差し込む光柱の中を、小さな雨粒がキラキラと輝きながら落ちて来るのです。ドームの下の巨大な床には、うっすらと水の跡が残り・・・。どうです?ちょっと想像しただけでもその厳かな光景に感動しませんか?

(残念ながら外部は一部修復工事中。)

(巨大な列柱群を抜けドームの中へ。)

(ドームの直径は43.2m。床から頂部までの高さも43.2m。下部の壁厚さは6m、頂部は軽量化する為に厚さ1.5m。素材も凝灰岩と軽石を使用しているとのこと。この写真の上部にオクルス(oculus, ラテン語で「目」の意)と呼ばれる開口がある。)

(オクルスを見る。日常にある太陽光に、建築を通して別な意味が与えられる。)
パンテオンに先立つこと約100年、建物のデザイン、サイズもさることながら当時の建設技術の高さに驚かされるのが「コロッセオ」。

(現代の都市にある球場のように、日常の光景として存在するコロッセオなどの遺構たち。この街の骨格が古代ローマなのだから、あたりまえと言えばあたりまえなのだが…。)

(コロッセオのすぐ脇にに地下鉄駅があり、出口を出るといきなりこの巨大な建物が目に飛び込んでくる。野球の応援に来たような身近さ。)

(外周サイズが変化する側面のデザイン処理も美しい)

(コロッセオ客席部分の足元。現代の球場裏とまったく同じ光景。)


(グレーのステージ部分が競技場床レベル。手前にライン状に見えるのが地下だった部分で、競技場に上がる猛獣や剣闘士の移動・演出の為に使われたピットである。いわゆる奈落(ならく)。
迫(せり・舞台の一部が昇降する仕掛け)などの複雑な仕掛けが出来る前は、ローマ水道から引いた水をここに張って模擬海戦なども行われたとのこと。現在はほとんどの客席部分が崩れて見えなくなっているが、グレーのステージのすぐ後方、白と茶のまだら模様になっている部分が客席の一部。収容人数は45,000人。東京ドームの客席数とほぼ同じである。)
最後に「フォロ・ロマーノ」を紹介します。「フォロ・ロマーノ」とは、コロッセオの程近く東西約300m、南北約100mのエリアに古代ローマの遺構が数多く残る「フォルム・ロマヌム(ラテン語)」のイタリア語読みで、古代ローマの中心地だった場所です。
ここでは日本語での説明も聞く事が出来るオーディオ・ガイド(携帯電話をひと廻り大きくした様な機械。案内マップにある遺構のナンバーを入力すると、歴史的背景や風俗も含め丁寧に音声で説明してくれる)を借りて見学したのですが、なんせ遺跡類の数が多い。今回は半日ちょっとで見て回りましが、本来ならここは数日かけて見る必要があります。
しかし、優秀なガイドが短い見学時間をフォローしてくれました。単独で旅行する場合はこうした機械は積極的に利用すべきですね。対象物の見え方に厚みが増して、旅がより充実したものになります。

(ここを歩いていると、古代ローマ時代の賑わいが聞こえてくる。)

(大きな戦いに勝利すると、この地に立派な凱旋門が建設された。アーチ両脇のレリーフには凱旋の様子が描かれている。)

(ローマ帝国が東西に分裂後、かつて繁栄を誇ったこの場所は打ち捨てられ、土砂に埋もれていたという(もともと周囲の丘から川が流れ込む沼沢地だったらしい)。発掘は19世紀から本格化し、当時はより多くの遺構があったそうだが、風化や盗掘で遺跡の一部は失われた。今後も風化の問題は続くだろう。)

(フォロ・ロマーノで最も大きな遺構であるマクセンティウスのバジリカ(公会堂のような建物)。3つのアーチは側廊の部分。アーチの間、上部に崩れた構造体が見えるが、これが身廊天井を構成するアーチの付け根(一般的なキリスト教会に例えると、真ん中のホールが身廊。その左右にある列柱の外側、両方にある廊下の様なスペースを側廊と言う)。ここがいかに巨大な空間だったかが分かる。)

(写真が暗く分かりにくいが、当時競馬場だったと考えられている施設。左の円形の建物は皇帝の観覧席か。競馬場のすぐそばには巨大な浴場施設があった。 この黒い雲、撮影直後に雷を伴い大粒のヒョウを降らせた。)
正直なところ、時間が足りないという気持ちは拭えませんでしたが、日本での仕事も待っています。再びこの地を訪れようと心に誓い、ローマをあとに日本へ向かうのでした。 (ユーロ研修報告 終 /aka)
追伸: JIA北海道支部のバルセロナ建築展に絡めた急ぎ足の研修でしたが、約20年ぶりの欧州見学で学ぶものは多く、充実した時間を過ごせました。20代初めに訪れた時とは違う感性で様々なものを見る事が出来たと思います。この経験を自らの設計活動に活かせるよう今後も努力していきたいと思っています。